サラリーマンから専業農家へ

■思い出が壊された

環境に優しい培で米作りをするきっかけは、遡れば20年くらいに前だったように思います。

子供の頃から川が大好きで、釣りしたり泳いだり、川に楽しい思い出がたくさん詰まっています。
特に家の近くにあった「竹田淵」というスポットはゴツゴツとした岩盤に囲まれた水深が2m以上あった淵で、河童がいると思わせる怖いながらも神秘的な場所でした。

その淵が・・・自分が高校卒業して福岡でいる間に埋め立てられて、のっぺりとした浅い川に変わり果ててしまいました

ショックどころではありません。いまだに心にぽっかりと穴が空いたような感じがします。沖縄の方々が首里城焼失を悲しんだ、その感覚に近いと思っています。

現在の河川工事の多くは、用水路の整備?洪水対策?目的ははっきり聞いたことないですが、利便性だけしか考慮されていません。

人間の都合だけで地球に手を加えていい?
いいはずがありません。もう色んな弊害が出て、人間社会にも悪影響が出ていることは言うまでもありません。

これからは生き物、景観に考慮した河川工事をしないと、生き物がより少なくなり、僕のように川に育てられ、またその場所に戻ってこようと思う人も少なくなります。

このショッキングな体験で、環境問題に関心を持つようになりました。

■玄米食との出会い

2008年(38歳)、福岡から大分にUターンしてきました。
39歳で結婚。

家族を暮らすうちに自分の健康に気を使うようになり、玄米食を取り入れるようになりました。

玄米を食べ始めて半年もすると、その良さを実感。

ちょうどそのタイミング(2013年:43歳)で、親が農業(葉たばこ栽培)をやめることになり、「田んぼどうしようか」と話になり、親に一緒に米作りをすることになりました。

親にそもそも自家用の米は作っていましたが、普通に農薬や化成肥料を使用していました。ですが自分は、玄米食べてたことや、環境問題に関心があったので、農薬&肥料不使用を選択し、全面積の約4分の1を自分が受け持って自然栽培の開始!

そもそもこだわる性格で、なおかつ調べること好きなので、独学での米作りのスタートでした。

■失敗は成功の母

2014年(44歳)より米作りを始め、それから毎年色んな取り組みをして、失敗や成功を積み重ねてきました。

【2014年(44歳)】
育苗中に苗を溺れさせてしまい、成長を遅れさせてしまう( ;∀;)

【2015年(45歳)】
品種をヒノヒカリから「にこまる」に変更するも、熟期が遅すぎて熟しきれず、味も淡泊に( ;∀;)

【2016年(46歳)】
2月に母が急死して、4月熊本地震の余震が続く中、今度は父が入院→施設、同時期の長女も入院と、試練の中で米作りスタート( ;∀;)
そんな中、奈良の農家さんが独自に選別したイセヒカリの種籾を譲ってもらい、栽培開始!(^^♪
品種はイセヒカリとヒノヒカリで。

【2017年(47歳)】
育苗箱を稚苗から中苗に変更するも、苗床の仕上げが十分でなく、生育不良。
その尾を引いて、移植後は草(コナギ)に征服されてしまう( ;∀;)
極め付きは、収穫前に鹿に稲穂を約3分の2ほど食べられてしまい、イセヒカリの収量は反収50キロとかあり得ない結果に_| ̄|○
このような状況下でも就農への思いが断ち切れず、逆にこの頃より就農に向けて、明確にイメージを持ち始める!

【2018年(48歳)】
前年の経験を活かして、育苗成功!(^^♪
無施肥とは思えないほど立派に苗が成長!収量は回復傾向に。
田植え前の作業を工夫し、草の発生を抑える方法を習得(^^♪

【2019年(49歳)】
植え方を工夫し、また除草機を使いこなし、大幅に収量アップ!(^^♪
だが、夏場に農薬を掛けられてしまう大惨事に遭う( ;∀;)( ;∀;)( ;∀;)
その影響でお客様8割減( ;∀;)

【2020年(50歳)】
自然栽培で最も収量に影響するのが抑草・除草作業。
試行錯誤により安定的に作業を行うことが可能になり、2020年春より脱サラして就農(^^♪

不幸があっても決して希望を見失わず、失敗を成功に繋げて成長してきました。

「失敗は成功の母」

まさにこれを体験してきた6年間でした。